前回もお話したとおり、ギターとの出会つた場所は 陸上部の部室です。 その時、同級生が弾いていたのが「結婚しようよ」でした。 「俺も弾いてみたい!!」鮮烈な出会いでした。
そのころ劇場では「放課後」という映画が上映されてました。 主演は栗田ひろみ・・・だったかな?。 そして、挿入歌には「夢の中へ」が・・・。
とあたかも映画を見たような言い回しですが、 実は見てないんです。一度も。
おそらく。シングル盤にそのようなクレジットが あったような。
ほんとに短い歌詞。繰り返すメッセージ。。 「え!? なんで踊るん??」 反抗期の講師には、うってつけのメッセージでした。 「なんだ!? この訳のわからない歌詞は!?」 しかし、遠くのほうから、はっきりしないんだけど、 何かを問いかけられていて、そして開放感が・・・。 なんとも不思議な世界に引き込まれていました。 またまた、なけなしの小遣いで買ったライブがよかった。 「暗い、嫌悪的」。卑屈の固まりだった講師は同調しちゃいました。 アコギのみの演奏がそうであり、バンドをつけての演奏が それをエネルギーにした爆裂感がありました。
しかし、あのタイミングで誰が名前を呼んだのか? その声がなんとも切なく、いとおしく聞こえました。
時に、その声を聞きたくて、たまーに、針を アナログ盤に落としています。盤のキズで、雑音だらけですが。 当時の思いが、よみがえります。 ジャケットもよかった。ひたすら派手じゃない。 黙ったまま、何か言ってる。。
当時はまだニューミュージックという呼び方はなかったですね。 無論、そのような音楽がなかったからでしょうが。 その数年後にニューミュージックというカテゴリ分けが されたような記憶です。
早速、4500円のギターを、ディスカウントストアで買いました。 まぁ、ボディーはあるものの、弦が鳴るだけというシロモノ。
ひたすら成りきってました。たいした曲も弾けなかったですが、 雰囲気とナリキリだけは超一流でした。
友達がキチッと弾いていると、ショックが大きく、 その度に、打ちのめされることもしばしばでした。
友達の演奏を見る機会は、貴重な情報源。。 だれがどこどこで演奏するとか知ると、 いち早く駆けつけ、かぶりつきへ。 頭の中に、すべて余すことなく友達のプレイを 焼き付けるためだけに集中。 終了後、即帰宅。即実戦。 こんなことを繰り返してました。
高校に入ってからは、友達の交流エリアも広がり、 足利、太田、館林、邑楽、大泉あたりで行われる ライブ・・(コンサートと呼んでた)を、しらみつぶしに 見て回りました。
おいおい、あいつまた最前列だょ・・とか、 言われてたんでしょうね。
究極は、会場にギターを持っていってしまう。 遠方だと、帰宅までに記憶が薄れてしまうので、 見たら、会場の外で即おさらい。なんてことも。
お〜! 今日は出るんだぁ〜。とか、友達に見つかり、 いや〜、違うんだよ。ついでがあったんで、 ギター持ってきただけ・・。などと、適当にごまかしたりして。 譜面はあったとは思いますが、そのとおりに弾いてるつもりでも ぜんぜん違う。やはり、実際に見たい。 しかし、プロのライブはそう見れるものではない。
友達のコンサートはかけがえの無い、ギター教室の場でも あったのです。
このコンサート行脚は、エレキに持ち替えても、続きます・・・。
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